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うちの子は言ってくれるかな?



 

引退

 

武藤敬司」っていうすごい男が引退です。

 

ご存知ない方もおられるでしょうから、簡単には説明できないんですが紹介しましょう。

 

なんせ「波乱万丈」な人生を歩んだ人なんです。

 

武藤敬司」 職業 「プロレスラー」

 

武藤敬司は、日本のプロレスラーであり、プロレス団体「全日本プロレス」、「新日本プロレス」、「プロレスリング・ノア」などで活躍した伝説的な選手です。彼は、プロレスの技術やパフォーマンスに磨きをかけ、数多くのタイトルを獲得し、日本プロレス界を代表する存在として認知されています。

武藤敬司は、1963年12月1日に福岡県北九州市で生まれました。彼は、幼少期からプロレスに興味を持ち、高校卒業後にプロレスラーとしてのキャリアをスタートしました。1984年に「全日本プロレス」に入団し、同年にデビューしました。

武藤敬司は、1987年には「アジアタッグ王座」を獲得し、その後も「世界ジュニアヘビー級王座」や「三冠ヘビー級王座」など、数々のタイトルを獲得しました。彼は、技術の高さやスピード感、激しいファイトスタイルが特徴であり、プロレスファンから熱烈な支持を受けていました。

1990年代に入り、武藤敬司は「新日本プロレス」に移籍しました。彼は、同団体での活躍により、日本プロレス史上最高額の契約金を手に入れるなど、一躍トッププロレスラーの地位を確立しました。1997年には、新日本プロレスでの最高峰のタイトルである「IWGPヘビー級王座」を獲得し、日本プロレス界の頂点に立ちました。

2000年代に入り、武藤敬司は「プロレスリング・ノア」を設立し、同団体の代表に就任しました。彼は、若手選手の育成に力を入れ、同団体を日本プロレス界のトップ団体の一つに育て上げました。

また、武藤敬司は、プロレスラーとしての活動だけでなく、プロレス界の発展や後進の育成にも尽力しています。彼は、プロレスラーとしての経験や知識を活かし、後進の育成に力を注ぎ、プロレスの普及やプロレスの認知度向上にも努めました。特に、プロレスリング・ノアの設立によって、日本プロレス界に競合団体が登場し、競争が活性化したことは大きな功績です。

しかし、武藤敬司のプロレス人生は、健康面や人間関係のトラブルなど、様々な苦難も伴いました。彼は、2002年に首の手術を受け、長期間にわたってリングに上がることができませんでした。また、プロレスラーとしての地位や評価に対する不満や葛藤も抱えていたとされています。

しかし、そうした苦難を乗り越え、武藤敬司は常にプロレスラーとしての職責を果たし、多くのファンや後進のプロレスラーから尊敬される存在となりました。

 

以上が「武藤敬司」というすごい人です。

 

 

娘さんの「引退した父へ送る言葉」

 

それはそれで寂しくもありお疲れ様なんですが、今日のYahooニュースで見たんで娘さんが父「武藤敬司」に宛てたコメントというか文章を見たんです。

 

 

まずはYahooニュースの記事を見てください。

 

news.yahoo.co.jp

 

この記事が刺さってしまいました。

 

うちの子はこんな言葉くれるかな?

 

私には長男、次男と末っ子に娘がいます。

 

娘だけではなく、この子たちは子の娘さんのようなコメントを私が定年を迎えるときに送ってくれるのかな。

 

武藤敬司」は幸せやなって思いましたね。

 

まだまだ先の話ですが、号泣できる言葉をもらいたいものです。

 

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